美濃尾張の仕組みは人類の祖である月の主の不義を知ること

はじめまして。 ご訪問くださり心から感謝致します。 見えない存在達からブログを書かされている、普通に暮らしてきただけの普通の人間の非常に辛く苦しい経験と得た情報を綴ってまいります。   

祇園祭を知ることで美濃尾張の仕組みを知る 蟷螂山 芦刈山

多くのブログの中から当ブログにご訪問くださり感謝致しております。


ごく普通に生活を送っているブログを書かされている人間は、ブログを書かされるにあたり24時間蔑む〝声を聞きながら〟でなく、調べながらしか書くことができないため、ブログをかくにあたり膨大な時間がかかるにもかかわらず、書くことを強制されることが苦痛でたまりません…

声による虐め、本当にされたくない余計なコントロールにより苛々させられっぱなしで、睡眠時だけは解放されますが、最低限の家事は疎かにするわけにもいかず、仕事に行きながらブログを書くことは本当にしんどいことで嫌になります…

相変わらず正確なことは分からない、しかしながら一握りの真実があるかもしれないため、とにかく得た情報をお伝えさせていただきますことをお許しください。


現在もですが、2019年の夏は、amebloの方で、毎日まいにち、祇園祭の鉾、33基について書き終わるまで書かされていきました…これで仕組みを終われるから、と嘘をつかれて。

7月17日は山鉾巡行の日ということですが、祇園祭は長刀鉾に始まり、祭自体が素戔鳴尊であり、源義経に転生していた存在が、何故撒いた種を刈り取らなければならなかったのか=カルマの解消への道のりを歩まなければならなかったのか、そして美濃尾張の仕組みのことを知らせるためのことが込められていたものであるようであり、現在は時期が外れてしまってはいますが、一つひとつの山鉾について錯綜、混乱されてばかりですが、変わっている情報もありますので、改めて考えて書いていかなければならないとお伝えさせていただきますことをお許しください。

長刀鉾については既に書かせていただきましたので、2019年の巡行順に仕組みより得た情報より調べてお伝えさせていただきます。



山一番の蟷螂山

Wikipediaより、「南北朝時代に町内に館を構えていた四条貴資が足利義詮に立ち向かった逸話を町内に住む薬商の陳外郎大年宗奇が「蟷螂の斧」の故事にたとえて…」

と書かれていました。

カマキリが大きな敵に立ち向かう勇猛な姿を賞した中国の故事を出典としているようだと知りましたが、素戔鳴尊が撒いた種の刈り取り、カルマの解消に立ち向かい、全てを子孫達に伝え、悪行を反省し、子孫である地球の人間を支えていく存在となっていく、という意味が込められていた様ではあります。

しかしながら、ブログを書かされている人間にも信じ難いことですが、

木花咲夜姫は「金髪白人の男」

であったようだ、そのため

カマキリ=〝オカマを切る〟

いうことであったようだと、得た情報よりお伝えさせていただきますが、こちらの蟷螂山がくじ取らずの長刀鉾に次いで二番目の巡行となったことも、偶然ではなかった、コントロールできる存在、国常立尊が決めたことのようだ、と得た情報をお伝えさせていただきます。

また、蟷螂という漢字より、

蟷は虫と尚冠、一と口は始まりの一人、田は殺めた妻国常立尊を地球のマテリアル(核燃料)にしたため、地球のこと。

螂は虫と郎で、男性をあらわしているようであり、蟷螂合わせて

〝尊い存在ではあった、カルマを解消するために地球に来る予定である、五分ほどの虫のようになった3次元の創造主、素戔鳴尊〟



山二番の芦刈山

祇園祭はほぼ謡曲から取材されていることは、知らされていますが、謡曲を調べるにあたり、

『謡蹟めぐり 謡曲初心者の方のガイド』というサイトを参考にさせていただきましたことを感謝致します。


謡曲「芦刈」から、没落して離れ離れになってしまった夫婦が再会し、改めて絆を結ぶ、というものであったことを知ることとなりましたが、

「夫婦の愛情の機微が難波の春景色を背景に優しくきめ細かに描かれた作品であり、最後は夫の左衛門は烏帽子直垂をまとい、夫婦連れ立って春の都へ向かう」と書かれていました。

こちらのことから、素戔鳴尊は、本来なら淡路で顔を洗うべき存在…その意味は、

〝火遊び水遊びの路(淡路)を断つ〟

という意味であるようであり、淡路島が日本の始まりであるという意味には、仕組みのことを知ることで覚醒剤と快楽についてのことが淡路という漢字にあらわされているようであることを知ることとなり、殺められてもなお夫を覚醒剤と快楽から離れさせ更正させてあげたかった、夫から霊体にされてしまった一国の王であった国常立尊と、警察の高官であった素戔鳴尊が犯罪者となっていった、しかしながら美濃尾張の仕組みにて更生=立て替え立て直しをしていく原因をあらわしていたようだ、と得た情報から改めてお伝えさせていただきます。


芦刈は芦がイネ科であることから、

素戔鳴尊がカルマを解消して、

〝コウベを垂れる稲穂〟

となり、国常立尊は米を収穫する稲妻となれるように、元の夫婦となれることを願って作ったのではないか、と今の段階で鉾の意味と仕組みより得た情報をお伝えさせていただきます。


米は

「八十八」

とあらわされる、ということを得た情報よりこちらにお伝えさせていただきます。


参考にさせていただきました上記のサイトに携わられた方々に改めて心より感謝の気持ちをお伝えさせていただきます。


祇園祭の山鉾についてはまた続きを書いていかせていただきます。


お読みくださり感謝致しております。